地元の納涼夏祭りが終了しました。準備から後片付けまで他の行事・視察などが重なってしまいましたが怪我がなく無事終えることが出来ました。
準備




本番




27名の地元の中学生も風船釣り・金魚すくい・かき氷など手伝ってくれました。


後片付けに奔走しました。宴の後はゴミが多いです。東部知多衛生組合で焼却されるゴミ、リサイクルする資源ゴミ、燃やして埋め立てるだけでなく上手く環型する社会にしなければなりません。


中日新聞に大々的に掲載された、間米にある中日看護センターの件で豊明市役所にも多くの報道関係者が駆けつけていました。下記写真は市役所内でテレビ局が高齢者福祉課長の取材をしている様子です。

地元(足元)の問題すらやろうとしないのに豊明市の事を語る姿に違和感を覚えずにはおられません。桜ケ丘にあるオウム真理教施設の監視パトロールを続けています。
豊明市の認可・福祉のあり方が悪い意味で注目されています。近所の人も新聞報道・テレビ放映を見て井戸端会議で「ボケてもああいうところに入りたくない。ボケたら早く死にたい」とネガティブな会話をしていました。
いま少子高齢化対策、社会的弱者と呼ばれる人の救済にお金が必要となっています。また食料品など原発問題の終息のめどが立たないため、日本各地さまざまな所に影を落としています。政府はしっかりとした対策を迅速に打つべきなのですが悲しいかなリーダーシップのない総理のもとではいかんともしがたいのが現実です。
当市においても市民税10%減税するお金があるなら少子高齢化対策、東日本大震災に義援金として送ったらどうかいという主張を繰り返していました。これからもこの主張は変わりません。特別養護老人ホームなどの新設問題も出てくることでしょう。
豊明市もお金が必要とするのは民生費の部分、つまり年金・医療・介護・子育ての部分で「土木費・公共事業の入札改革をして篩にかければザクザクとお金が生みだせる」という主張は正しくありません。
確かに過去には大きな公共事業があれば、「ちょっとあやしいんではないか?」という匂う部分があったのは事実です。そこに巣くう過去のイメージを醸し出してことさら強調して事実と違う、現実とかけ離れた主張に負けるわけにはいきません。
今豊明の公共事業は道路・公園の庭木剪定、各行政区から出される区長要望工事、小中学校の校舎・体育館の耐震工事などしかありません。
もうひとつお金がかかっているのは人件費です。公務員給与の10%カットという主張はとんと聞こえてきません。職員と協議したとか労働組合と議論した形跡もありません。いったいどこに行ったのでしょうか?
一昨日に続いて、昨日も幸田町(西尾市も立ち寄りました)の事業仕分けに行ってきました。豊明市も事業仕分け予算100万円あるのでやってくれればいいと思います。しかしその“やり方“については意見があります。
「安心して子育てが出来るまち、老後が楽しく暮らせるまち」というのは誰もが共通することです。