子ども会主催の最後のラジオ体操に顔を出しました。週明けには2学期とともに、9月定例月議会の一般質問も始まります。
今日は8月最後の交通事故ゼロの日の交通当番に出かけます。
日本各地が、ゲリラ豪雨に襲われています。
自然災害から身を守る政策。ここに資金を投入するのが政治の役割です。
人口増加をバラ色の将来かのように叫ぶ人がいます。かつて、二村台も山林で、市役所周辺も田畑でした。
大雨が降っても、山や田畑が調整池の役割を果たしました。
経済成長、人間が住みやすい街という目的で、アスファルトで覆ってしまいました。そのツケが、ヒートアイランド現象を引き起こし、上流の雨が一気に下流に押し寄せ、かつてないほど床上・床下浸水という構造となっています。
人の手による開発が、自然災害・集中豪雨に耐えられない町へ変えています。
9月定例月議会で質問しますが、調整池やため池などを整備するしかないのですが、気象変動なのか雨の降り方が異常で、とても排水が間に合いません。費用・土地の問題があって、時すでに遅し、の感が否めません。
一方、バブル経済崩壊後、若者たちなどを安価に雇う事に躍起になる企業が増え、労働者の安定した生活を奪う非正規雇用を拡大、雇用の不安定化・賃金低下を進めました。
職員削減、賃金カット、人を金額に換算するコストとして見なし、働く人を大切にしない社会・役所にしては未来はありません。
他所もやってるから、と正社員を派遣労働に簡単に切り替えたりする会社に対して、忠誠心・やる気というものは生まれるものではありません。
多様な生き方、という耳触りのいい言葉の裏側に、低賃金で働く人を拡大させる政策や、低収入で結婚できない不安定雇用の促進、しいては結婚しても子どもを産み育てる収入の無い世帯を拡大させる事を、見過ごす事は出来ません。
事業仕分けなどコスト削減こそが、競争力の源泉と見ている部分がありますが、教育・人材育成こそが、競争力の源泉である。命を守る政策に、皆さんからの税金を投入するのが政治の役割です。
政策的に正しいのは分かる、理屈はそうかも知れないけど、正社員でなくて所得が低いので消費税アップは嫌だ、という若者からの声に反論できません。
命を守る政策は進めなければ、
命を守る公共事業とは何か、
人は城、人は石垣、職員は生ぬるいと、叱咤ばかりしているより、今いる職員を活用して市民の命を守るための政策を論じなければ、
教育、社会的弱者対策、高齢者対策、若者支援対策、毎年・毎年扶助費が増え続けるのに、あれもこれもしなければならず、市民税減税に廻すお金は到底ありません。
豊明市の予算300億(一般会計+特別会計)のうち国民健康保険と介護保険だけで100億円の予算が必要となっています。
国の概算要求も政策経費で74兆円、赤字国債返却分を含めると、100兆円に迫る勢いです。
あまりの金額の大きさに、1万円札で換算してどれくらいのお金の量になるのでしょうか?


我が家の一員となったバロン君、だんだん三浦家に慣れてきています。